伏見稲荷大社と古典|あの清少納言も稲荷山へ登ったの!? 『枕草子』に描かれる初午大祭のできごと

ごりら

こんにちは! ごりら@goriluckey)です!!

京都に住んでいると歴史の長さを感じてワクワクする瞬間があります。

日本史の教科書に載ってるような歴史上の一大事件が実は近所で起こっていたり、時には「幻の城」の遺構が発見されたりすることもあるんですよ。

この記事では『枕草子』に登場する稲荷社(現在の伏見稲荷大社)・稲荷山」をご紹介します。

『枕草子』の作者・清少納言が稲荷山に登った経験があり、そのことを『枕草子』に書き綴っているんですよ!

ごりら

なんだかすごいですよね!?

伏見稲荷大社は全国に30,000社以上ある稲荷神社の総本宮

伏見稲荷大社は国内だけでなく、トリップアドバイザー社の「外国人に人気の日本の観光スポットランキング」で2014年から2019年まで6年連続で1位に選ばれるほど外国からの参拝客も多い人気の観光スポットです。

楼門前の大きな鳥居やご神体である稲荷山に連なる無数の鳥居がとても神秘的な雰囲気なので、観光スポットとして人気になるのも納得です。

伏見稲荷大社
伏見稲荷大社

伏見稲荷大社は創建は和銅年間(708年〜715年)と言われています。和銅は奈良時代の元号なんですよね。

和同開珎わどうかいほう」という日本で最初のお金(流通貨幣)がつくられたころですよ!

伏見稲荷大社の公式サイトでは711年に稲荷大神様が御鎮座されたとして紹介されています。

当社の御祭神である稲荷大神様がこのお山に御鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこと。

その日から数えて、平成23年(2011)に御鎮座1300年を迎えました。

出典: 『伏見稲荷大社

ごりら

都が京都に遷される794年(鳴くようぐいす平安京)よりも前から伏見稲荷大社はあったんです!

平安時代になると、827年にはじめて伏見稲荷大社の御祭神である稲荷大神に「従五位下」の神階(地位の序列)が授けられ、942年には「正一位」となりました。

つまり稲荷大神の神様としての地位がどんどん上がっていったということなんですね。大出世です!

神様のお使いである白狐
神様のお使いである白狐

当時は伊勢神宮には天皇以外の人たちは参拝できなかったので、京の都に近い稲荷社(現在の伏見稲荷大社)にたくさんの人が参拝するようになりました。

あの清少納言も稲荷詣をしていて、その時のようすを『枕草子』に書き綴っています。

ごりら

清少納言も稲荷山に登ったって感慨深いですよね…!

清少納言によって平安時代に書かれた古典文学『枕草子』

『枕草子』と言えば『源氏物語』と並ぶ宮廷女流文学の代表的な作品です。古典の授業中に爆睡していたとしても『枕草子』の名前を知らない人はいないでしょう!

『枕草子』は平安時代の女流作家・清少納言が書いた随筆です。現代で言うとまさにブログみたいな感じかも知れませんね。

清少納言が感じたことや日常生活、宮廷社会について書き記されていて、紫式部の『源氏物語』とともに平安文学を代表する作品のひとつです。

『枕草子』は平安時代の中期(1000年ごろ)の成立と言われているので、ちょうど稲荷大神が正一位となって稲荷社にたくさんの人が参詣するようになった時期と重なります。

『枕草子』に描かれた稲荷山・稲荷詣

稲荷社が『枕草子』に登場するのは「うらやましげなるもの」(第一五二段)という章段です。

「うらやましげなるもの」では清少納言が「うらやましいっ!! 」と感じることがめちゃくちゃ書き綴られているんです。

清少納言の「うらやましげなるもの」

  • お経をすらすらと読める人
  • 自分が落ち込んでる時にキャッキャしてる人
  • 稲荷詣をさらっとこなす人
  • 良い子どもがいる人
  • 髪の毛がきれいな人
  • たくさんの人にチヤホヤされてる人
  • 字や歌がうまくてなにかと選ばれる人
  • 立派な人に仕える人

こう見ると、清少納言って人間味があふれていて好感が持てますよね!

この「うらやましげなるもの」の中に清少納言が稲荷社で出会った人物のことを書いているんです。

ごりら

「うらやましげなるもの」をわかりやすく意訳してみますね!

『枕草子』「うらやましげなるもの」稲荷詣のくだり(ごりら的意訳)

「そうだ 稲荷、行こう! 」みたいなノリで稲荷社へ行ったことがあってんな。

で、ほら、稲荷社って稲荷山の上に上中下の3つの社があるやろ?

わたし、真ん中の社へ着く直前にめちゃくちゃしんどくなったんやけど、あとから来る人がどんどん先に行かはるねん!

あれはすごかったわ! ほんまに素晴らしい!!

中社神蹟(二ノ峰)
中社神蹟(二ノ峰)

でさあ、二月の初午大祭の日にな、わたし、まだ夜明け前に家を出て稲荷に向かってん。けっこう急いだんやけど、坂の途中で10時ごろになってしもてな…

こんな時に限ってなんか暑くなってきて、うぅ…もうなんかイヤになるわ、ほんま…

清少納言

わたし、なんでこんな日に来てしもたんやろ…

もうあまりにもしんどくなってな、泣きながら座り込んでしもてん。

ほんならさあ、アラフォーぐらいの女の人でな、ふつうの服装の人がいてん! 山ガールコーデじゃないねんで!?

うらやましげなる女性

わたし「七度詣」やってるんやけど、もう3回終わったで。あと4回ぐらい楽勝やし、たぶん14時ごろには終わると思うわ〜!

って、道ですれ違った人に言うて坂を下りて行かはってん。

街中やったらなんにも思わへんかったかも知れんけど、もうこの時は「今すぐにこの女の人になりたいっ!! 」って思ったわ。

清少納言

めっちゃうらやましかったわ〜!! わかるやろ?

解説─『枕草子』当時の稲荷社・稲荷山

現在の伏見稲荷大社の本殿は稲荷山の麓にあり、参拝客は内拝殿ないはいでん(本殿の前の建物)へ参拝します。

稲荷山の麓にある本殿・内拝殿
稲荷山の麓にある本殿・内拝殿

ですが、清少納言の時代は稲荷大神が降り立ったとされる稲荷山の三ヶ峰に社があったんですね。当時の社は応仁の乱で焼失してしまい、現在は神蹟地として残されています。

こちらは標高233メートルの稲荷山の山頂・一ノ峰にある「上之社神蹟」です。

上社神蹟(一ノ峰)
上之社神蹟(一ノ峰)

現在の建物(親塚)は明治時代に建てられたものですが、独特の雰囲気が漂っていますよ。

そして、こちらが二ノ峰にある「中之社神蹟」です。清少納言が『枕草子』で綴った「中の御社」はここのことでしょうか。

中之社神蹟(二ノ峰)
中之社神蹟(二ノ峰)

現代の二ノ峰までの参道はこのように石の階段があるので、決して楽チンではないものの、山登りのような大変さはありません。

二の峰に続く階段
二の峰に続く階段
ごりら

清少納言が「うらやましげなる女性」に追い抜かされたのはこのあたりかも知れませんね。

こちらは三ノ峰の「下之社神蹟」です。『枕草子』に書かれていた「七度詣」はこの上中下の3つの社を1日で7回参拝するというものだったようですね。

下之社神蹟(三ノ峰)
下之社神蹟(三ノ峰)

現在では稲荷山の参道は舗装されていますが、清少納言の時代は舗装されていないので、稲荷山の山頂へ到達するだけでもなかなか大変だったのではないでしょうか。

ちなみにこちらは奥社奉拝所から伏見神宝神社へ行く道の写真です。

伏見神宝神社への道伏見神宝神社への道

ここは石の階段が整備されておらず、いわゆる山道なんですよ。清少納言が登った稲荷山はこんな感じだったのかも知れませんね。

まとめ|伏見稲荷大社・稲荷山と清少納言の『枕草子』

この記事では『枕草子』に登場する伏見稲荷大社・稲荷山をご紹介しました。

古典に描かれている場所へ行くことができるってワクワクしますよね! 今風に言うと「聖地巡礼」という感じでしょうか!?

現代の稲荷山は山頂までちゃんと石階段が整備されているのでハイキング感覚で登れます。

伏見稲荷にお越しの際にはぜひ稲荷山にも登ってみてくださいね!

ちなみにこの記事の現代語訳は『新編日本古典文学全集18 枕草子』を参考にしました。

『枕草子』は短編なので読みやすいし、現代に通じるものもあって意外とおもしろいですよ。

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今回ご紹介した『枕草子』のほかに、実は『今昔物語』にも伏見稲荷の初午大祭を舞台にした話が書かれているんです。

『今昔物語』に書かれた伏見稲荷の話はめちゃくちゃアホらしくておもしろいので、ぜひ、こちらの記事もどうぞ!

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