
京都に住んでいるとやっぱり歴史の長さを感じてワクワクする瞬間がけっこうあるんですよね。
日本史の教科書に載ってるような歴史上の一大事件が実は近所で起こっていたり、時には「幻の城」の遺構が発見されたりなんかもします。
今回は「『枕草子』に登場する稲荷社(現代の伏見稲荷大社)・稲荷山」を紹介します。
清少納言が『枕草子』で書き記した稲荷山でのできごとをごりら風味で意訳してみますよ〜。
目次
伏見稲荷大社
現代の伏見稲荷大社は国内だけでなく、「外国人に人気の日本の観光スポットランキング」(TripAdvisor (トリップアドバイザー))で2014年から4年連続で1位に選ばれるほど外国からの参拝客も多い人気の観光スポット。
楼門前の大きな鳥居やご神体である稲荷山にある無数の鳥居がとても神秘的な雰囲気なので、観光スポットとして人気になるのも納得です!

現代の伏見稲荷大社
その伏見稲荷大社ですが、創建は和銅年間(708年-715年)と言われています。奈良時代ですね! ほら、「和同開珎」っていう日本で最初のお金(流通貨幣)がつくられたころですよ。
伏見稲荷大社の公式サイトでは711年に稲荷大神様が御鎮座されたとして紹介されています。
当社の御祭神である稲荷大神様がこのお山に御鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこと。
その日から数えて、平成23年(2011)に御鎮座1300年を迎えました。
出典: 『伏見稲荷大社』

鳴くよ(794)ウグイス平安京よりも前ってことですね!
平安時代になると、827年にはじめて稲荷大神様に「従五位下」の神階(地位の序列)が下賜(かし)され、942年には「正一位」が授けられました。
かんたんに言うと、稲荷大神様の神様としての地位がどんどん上がっていったってことなんですね。 大出世です!

きつねは稲荷大神のお使い
当時は伊勢神宮には天皇以外の人たちは参拝できなかったので、京の都に近い稲荷社(現代の伏見稲荷大社)にたくさんの人が参拝するようになったんですね。
実はあの清少納言も稲荷詣をしていて、その時のようすを『枕草子』に書き記しているんですよ。

清少納言も稲荷山に登ったって感慨深いなあ…
『枕草子』ってなんだっけ?
いちおう古典の時間に爆睡していた人のために『枕草子』についてかんたんに説明しておきますね。
『枕草子』は平安時代に清少納言が書いた随筆で、そう! まさに現代で言うと、ブログみたいな感じですよね。

清少納言は平安時代の女流作家
清少納言が感じたことや日常生活、宮廷社会について書き記されていて、紫式部の『源氏物語』とともに平安文学を代表する作品のひとつです。
『枕草子』は平安時代の中期(1000年ごろ)の成立と言われているので、ちょうど稲荷大神様が正一位となって稲荷社にたくさんの人が参詣するようになった時期ですね。
『枕草子』に描かれる稲荷山・稲荷詣
稲荷社が『枕草子』に登場するのは「うらやましげなるもの」(第一五二段)という章段です。
「うらやましげなるもの」では清少納言が「うらやましいっ!! 」と感じることがめちゃくちゃ書き綴られているんです。
- お経をすらすらと読める人
- 自分が落ち込んでる時にキャッキャしてる人
- 稲荷詣をさらっとこなす人
- 良い子どもがいる人
- 髪の毛がきれいな人
- たくさんの人にチヤホヤされてる人
- 字や歌がうまくてなにかと選ばれる人
- 立派な人に仕える人
いや〜清少納言って人間味があふれていて好感が持てますよね〜!
そんな清少納言がうらやましいと感じた稲荷社でのできごとを意訳してみますね。
ごりら的意訳! 『枕草子』「うらやましげなるもの」稲荷詣のくだり
「そうだ 稲荷、行こう! 」みたいなノリで稲荷社へ行ったことがあってんな。
で、ほら、稲荷社って稲荷山の上に上中下の3つの社があるやろ?
わたし、真ん中の社へ着く直前にめちゃくちゃしんどくなったんやけど、あとから来る人がどんどん先に行かはるねん!
あれはすごかったわ! ほんまに素晴らしい!!

中之社神蹟(二ノ峰)
でさあ、二月の初午大祭の日にな、わたし、まだ夜明け前に家を出て稲荷に向かってん。けっこう急いだんやけど、坂の途中で10時ごろになってしもてな…。
こんな時に限ってなんか暑くなってきて、うぅ…もうなんかイヤになるわ、ほんま…。

わたし、なんでこんな日に来てしもたんやろ…。
もうあまりにもしんどくなってな、泣きながら座り込んでしもてん。
ほんならさあ、アラフォーぐらいの女の人でな、山ガールコーデじゃないふつうのファッションの人がいてんな。

わたし、「七度詣」やってるんやけど、もう3回終わったで。
あと4回ぐらい楽勝やし、たぶん14時ごろには終わると思うわ〜。
って、道ですれ違った人に言うて坂を下りて行かはってん。
街中やったらなんにも思わへんかったかも知れんけど、もうこの時は「今すぐにこの女の人になりたいっ!! 」って思ったわ。

めっちゃうらやましかったわ〜!! わかるやろ?
解説─『枕草子』当時の稲荷社・稲荷山
現代の伏見稲荷大社は稲荷山の麓にある内拝殿(本殿の前の建物)へ参拝します。

本殿の手前にある内拝殿
ですが、清少納言の時代はご神体である稲荷山の山頂に3つの社があったんですね。当時の社は応仁の乱で焼失してしまい、現在は神蹟地として残されているんです。
稲荷山の山頂(標高233m)にある「上之社神蹟」(一ノ峰)。現在の建物(親塚)は明治時代に建てられたものですが、独特の雰囲気が漂っています。

上之社神蹟(一ノ峰)
こちらが二ノ峰にある「中之社神蹟」。清少納言が『枕草子』でつづった「中の御社」はここのことでしょうかね〜。

中之社神蹟(二ノ峰)
現代の二ノ峰の直前はこのように石の階段があるので、決して楽チンではないものの、山登りのような大変さはありません。

二の峰に続く階段

清少納言が追い抜かされて行ったのはこのあたりなんでしょうかね〜!?
こちらが「下之社神蹟」(三の峰)。『枕草子』に書かれていた「七度詣」はこの上中下の3つの社を1日で7回参拝するというものだったようですね。

下之社神蹟(三ノ峰)
この写真は奥社奉拝所から伏見神宝神社へ行く道です。ここは石の階段が整備されておらず、いわゆる山道なんですよ。

伏見神宝神社への道
清少納言が登った稲荷山はこんな感じだったのかも知れませんね。
この記事のまとめ
今回は「『枕草子』に登場する伏見稲荷大社・稲荷山」を紹介しました。
古典に描かれている場所へ行くことができるってワクワクしますよね! 今風に言うと聖地巡礼って感じでしょうか!?
現代の稲荷山は山頂までちゃんと石階段が整備されているのでハイキング感覚で登れます。
伏見稲荷にお越しの際にはぜひ稲荷山にも登ってみてくださいね〜。
ごりらの「ごり押し」!

現代語訳は『新編日本古典文学全集18 枕草子』を参考にしました!
『枕草子』って短編なので読みやすいし、現代に通じるものもあって意外とおもしろいです。
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今回紹介した『枕草子』のほかに、実は『今昔物語』にも伏見稲荷の初午大祭を舞台にした話が書かれているんです。
『今昔物語』に書かれた伏見稲荷の話はめちゃくちゃアホらしくておもしろいので、ぜひ、こちらの記事もどうぞ!

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