18年前に止まった時計が動き出す!? 武豊と「快速逃げ馬」エイシンヒカリが挑む天皇賞・秋

サイレンススズカと同じ1番のゼッケンを着けるエイシンヒカリ
ごりら

こんにちは! ごりら@goriluckey)です!!

実は競馬ファンは2通りのタイプがいるのってご存知でしたか!?

ひとつは馬券重視派、ひとつはロマン追求派。ええ、もちろんロマン追求派が馬券も取れるのが一番美しいですね! …そううまくはいかないのが競馬の魅力でもあります。

今回は「競馬の『天皇賞・秋』に挑む武豊とエイシンヒカリのある奇妙な一致」を紹介します。古くからの競馬ファンなら決して忘れることのできない1998年11月1日

もしかしたら、18年前に止まったままの時間が動き出すかも知れません!

18年前の「天皇賞・秋」で起こった悲劇

18年前の1998年11月1日。東京競馬場で開催された「天皇賞・秋」でなにが起こったのか。

単勝1.2倍の圧倒的1番人気・サイレンススズカ

この年の主役は単勝1.2倍という圧倒的な1番人気に支持されたサイレンススズカという競走馬でした。

サイレンススズカ
サイレンススズカ

サイレンススズカは4歳(現在の数え方では3歳)時こそ持てる能力をじゅうぶんに発揮できず、クラシックレースや重賞レースを勝つことはできませんでした。

ですが、年が明けて5歳になるとサイレンススズカの快進撃がはじまります。(競走馬は年が明けると全馬の年齢が上がるシステムなんです。)

年明け初戦のバレンタインステークスを圧勝するとそこから前半のグランプリ・宝塚記念まで5連勝でGIホースへと駆け上がったのです。

そして、秋初戦。サイレンススズカは目標にしていた天皇賞・秋へのステップレースに毎日王冠を選びました。

毎日王冠にはグラスワンダー、エルコンドルパサーという2頭の無敗の外国産馬も出走しましたが、サイレンススズカが2着のエルコンドルパサーに2馬身半差の圧勝!

サイレンススズカは競走馬としての能力を最大限に発揮できる充実した状態で天皇賞・秋へと向かいました。

突然の失速…どよめく東京競馬場

天皇賞・秋のサイレンススズカの単勝オッズは1.2倍。単勝1.2倍というのは「1着以外にありえない、負ける理由が見当たらない」という感じなんですね。

当時を思い出してみても、状態・距離適性・相手関係、すべてにおいてサイレンススズカが負ける要素は見つからない、そんな雰囲気でした。

ゲートが開くとサイレンススズカはこれまでのレースと同じように快調に飛ばしていきます。

レース途中ではあるものの誰もがサイレンススズカの勝ちを確信していました。後続馬をみるみるうちに引き離していくと東京競馬場は「うぉ〜」という歓声が上がります。

もはやサイレンススズカが2着にどれだけの差をつけるのか、2着に来るのはどの馬なのかということが競馬ファンの関心ごとでした。

サイレンススズカが3コーナーから4コーナーへと向かっていく姿がテレビ画面に映し出され、競馬ファンの気持ちが高まっていく中、事態は急変しました。

なんとサイレンススズカの鞍上・武豊騎手が手綱を引き、うしろを振り返っている姿が競馬ファンの目に飛び込んできたのです。

サイレンススズカ、故障発生。

もしもサイレンススズカが負けるとしたらレース中の故障以外に考えられない。サイレンススズカの単勝1.2倍にはそんな意味も込められていたと思います。

そのまさか、が起こってしまったんです。

サラブレッドは400kg〜600kgの体重を4本の脚で支えないと生きていけないため1本でも骨折すると「予後不良」になることがあります。

「予後不良」と診断されてしまうと「安楽死」の処置がされてしまうんですね。

テレビに映し出されるサイレンススズカの姿は素人目に見ても痛々しく、馬運車(競走馬を乗せるトラック)へ乗り込んでいく姿を見て、多くの競馬ファンは最悪の結果を想像せざるをえませんでした。

サイレンススズカは左前脚の粉砕骨折。安楽死の処置がとられました。

今もなお愛され続けるサイレンススズカ

サイレンススズカが多くの競馬ファンに愛された理由のひとつは、それまでの競馬ファンが見たことのないレースを見せてくれたこと。

サイレンススズカはゲートが開くと後続馬をみるみるうちに突き放し、直線でも他馬の追随をゆるさない圧倒的なスピードでレースに勝ってきたんですね。

サイレンススズカのスタイルは「逃げ馬」と呼ばれますが、逃げ馬の多くは最後の直線でズルズルと後退していきます。

ですが、サイレンススズカは止まらない! 最後の直線でもさらに加速するんですよ!

他の競走馬が持っていない圧倒的なスピードに多くの競馬ファンは魅了されていました。

もしもサイレンススズカが外国のレースに出走したらどんなレースを見せてくれたんだろうか、もしもサイレンススズカが種牡馬になってその血を残していたらどんな仔が産まれたのか。

18年前の天皇賞・秋で起こった悲劇の結果、私たち競馬ファンは二度と叶わぬ夢を見続けることになったんです。

快速逃げ馬・エイシンヒカリ

2015年、競馬ファンの心を揺さぶる馬があらわれました。

彼の名前は、エイシンヒカリ

エイシンヒカリ
エイシンヒカリ

鞍上に武豊騎手を迎え、都大路ステークス、エプソムカップ、毎日王冠を制し3連勝で天皇賞・秋へと駒を進めたのです。

サイレンススズカの再来か!?

エイシンヒカリはポンとスタートすると軽快に先頭を走る逃げ馬です。

武豊騎手と逃げ馬、さらに連勝で毎日王冠を制して天皇賞・秋へと挑む臨戦過程…

競馬ファンがエイシンヒカリにサイレンススズカを重ねるのも無理はありません。もちろんわたしもそのひとりです。

サイレンススズカの再来か!?

多くの競馬ファンが期待しはじめました。

ですが、鞍上の武豊騎手のコメントは辛口でした。エイシンヒカリは気性が荒く、コースの端から端まで斜めに走ってしまうようなレースっぷりだったんですね。

それにサイレンススズカほどの強烈なインパクトのある勝ち方ではなかったのも事実です。

エイシンヒカリも成長してはいるけど、まだまだサイレンススズカと比べるレベルではない。

武豊騎手のインタビューはそんなニュアンスが込められていました。

実際、はじめてのGI出走となった2015年の天皇賞・秋では2番人気に支持されたものの、2番手追走から直線で力尽きて9着に敗れています。

エイシンヒカリが海外GIを圧勝!!

やっぱりサイレンススズカのような馬は二度とあらわれない。

エイシンヒカリが天皇賞・秋で馬群に飲まれていくのを見た競馬ファンは失望しました。

これはエイシンヒカリに失望したというわけではなく、サイレンススズカにはもう会えないということを再確認してしまった、そんな失望だったのではないでしょうか。

ですが、そんな競馬ファンにエイシンヒカリはサイレンススズカ以上の夢を見せてくれました。

天皇賞・秋で9着に敗れたエイシンヒカリは、次走に選んだ香港のGIレース・香港カップを制しGIホースの仲間入りを果たすと続くフランスGI・イスパーン賞でも他馬を寄せつけない逃げ切り勝ちをおさめたのです!!

武豊の、サイレンススズカの、競馬ファンの止まった時間が動き出す!?

エイシンヒカリはイスパーン賞のあと、イギリスのGIレース・プリンスオブウェールズステークスで海外GI3連勝を目指しましたが、まさかの凡走!!

圧倒的1番人気に支持されながら6頭立ての6着に敗れてしまいました。

そして、2016年10月30日。

エイシンヒカリは武豊騎手を背に、再び天皇賞・秋に挑みます。くしくも18年前のサイレンススズカと同じ1枠1番のゼッケンを着けて

サイレンススズカと同じ1番のゼッケンを着けるエイシンヒカリ
サイレンススズカと同じ1番のゼッケンを着けるエイシンヒカリ

しかも、実はサイレンススズカもエイシンヒカリもはじめて天皇賞・秋へ出走した時のゼッケンは5枠9番だったんですね。

単なる偶然とわかっていても、これだけたくさんの材料がそろうとサイレンススズカを思い出さずにはいられません。

わたしはついつい期待してしまうんです、こんな実況を。

サイレンススズカが駆け抜けることができなかった最後の直線!

武豊を背にエイシンヒカリが先頭、エイシンヒカリが先頭!!

後続をどんどん引き離す!

エイシンヒカリ、エイシンヒカリです!!

武豊の止まった時計が、18年の時を経て、エイシンヒカリとともに動き出した〜!!

この記事のまとめ

これはひとりの競馬ファンの妄想です。

エイシンヒカリやその関係者からすると迷惑な話なのかも知れません。見ようによっては縁起が悪いですから。

サイレンススズカと重ねるのは競馬ファンの勝手な都合ですが、海外GIを圧勝した実績はエイシンヒカリの方がサイレンススズカよりも上。

サイレンススズカのことは抜きにしても、エイシンヒカリにはぜひがんばってもらいたいですね。

なにより全馬が無事にゴールすることを祈ります。