本阿弥光悦の時代にブログがあったならきっとタイトルは『まだみやこで消耗してるの? 』

光悦寺の境内
ごりら

こんにちは! ごりら@goriluckey)です!!

もしも本阿弥光悦の時代にブログがあったなら『まだみやこで消耗してるの? 』ってタイトルでブログを書いていただろうし、もしも本阿弥光悦が今の時代を生きていたのなら『まだ東京で消耗してるの? 』なんてタイトルでブログを書いてるんじゃなかろうか!?

江戸初期の芸術家・本阿弥光悦の「光悦村」を訪れて、ふとそんなことを考えました。

今回は「本阿弥光悦の光悦村」を紹介します。

魂が揺さぶられる「光悦村」という存在

京都の北部「鷹峯」という場所にかつて本阿弥光悦が作った「光悦村」があったと言います。今年は「琳派400年」ということで「琳派」に関する記事を目にすることが多く、わたしが光悦村の存在を知ったのもそんな時でした。

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光悦村(こうえつむら)は、本阿弥光悦らが営んだ江戸時代初期の芸術村

本阿弥光悦が、江戸幕府から与えられた、京都鷹峯の地に、さまざまな分野の、町衆の文化人や職人、芸術家たちを集めて、独自の文化を築きあげた。

※ 『Wikipedia』より引用しました

一瞬でわたしの中の「中2病」がマックスに到達してしまいました。

芸術村!!! …なにそれ、超かっこいい!!!

魂が揺さぶられるこの感じ!?

しかも、この「芸術村」は「光悦寺」というカタチで現在に残っているらしい。これはぜひとも行かねばならぬ! ということで、ずっと胸に秘めておりましたがようやくその思いを成し遂げることができました。

「芸術村」で感じた創作活動にふさわしい環境

京都市内の中心部から「光悦寺」へは千本通を北へ進み、北大路通を通り過ぎてさらに北上します。佛教大学のキャンパスを過ぎたあたりから坂がきつくなり、クルマで移動しているにもかかわらず、左手に見える大文字山(左大文字)を登っているような気分になります。

今でこそ舗装された道路をクルマで行くことができますが、光悦の時代、このあたりは「御土居(おどい)」(豊臣秀吉によって作れらた京都を囲む土塁)よりも北に位置し(つまり洛外!)、辻切りや追いはぎが出没するような場所だったようです。

「鷹峯」の三叉路を左折して少し進んだあたりに「光悦寺」はありました。

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光悦寺は10分ほどで見てまわれるぐらいの敷地に7つの茶室がありますが、なんとこれらの茶室は「大正時代」に建てられたもの。

あれ、………光悦関係ない…。

正直、ちょっとテンションが下がってしまいました。

ですが、当時はこの光悦屋敷を中心に光悦を慕う芸術家が移り住み、京都の芸術・文化の一大拠点となっていたそうです。

気持ちを切り替えて…

ワイ、光悦と同じ場所で同じ空気を吸うている!

クリエイティブなパワーがみなぎってくる、そんな感じがするではありませんか!

鷹峯三山(鷹峯・鷲峯・天峯)を見渡すことができる光悦寺。四季の移り変わりを感じ、鳥の声を聞き、風の音を楽しむ。時の権力や俗世から離れ、自然に包まれた環境の中で芸術家たちの感性が磨かれたのだと想像できます。

こんな環境に身を置いて過ごせば、創作活動もきっとはかどったことでしょう。

さあ、光悦寺の雰囲気をお楽しみください!

こちらは「本堂」です。

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元禄5年創建の「鐘楼」。現在も「時報の鐘」として使われているそう。

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「光悦垣」と境内の雰囲気。

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緑が多くてほんとうに心が落ち着きますね。

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古池もあります。

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「本阿弥光悦翁墓所」。素朴な中にも、多くの人に慕われた光悦を思わせる雰囲気のあるお墓。

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光悦寺の境内を散策していると、ふと「こんなところでブログを書いたらはかどりそうやなぁ。」という考えが湧き上がってきました。

そう言えば、現代にも都会から離れて創作活動をされているブロガーがいらっしゃるじゃないですか!!

本阿弥光悦とイケダハヤトさんの共通点!?

本阿弥光悦の「芸術村」を訪れて、プロブロガーのイケダハヤトさんに通じるものがあるなぁと思いました。

二人には共通点がある!

都会からの移住

光悦が鷹峯の地へ移り住んだのは、朝廷ともつながりのある光悦を都から遠ざけたいという徳川家康の思惑があったとも言われているようですが、光悦は辺土への居住を希望していたそうです。

イケダハヤトさんも東京から高知へ移住され、さらに限界集落に住まわれて一層ご活躍されています。

そう思うと、イケダハヤトさんお住まいの「本山町」の景色と光悦寺から眺める「鷹峯三山」の風景もどこか似ている気がしてきます。

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ま、まあ、あたりが「山」ってことなんですが。

やっぱり「創作活動」をするには都会の喧騒の中よりも自然に包まれた環境の方が適しているんですね。

つまり私もせめて光悦寺に住まわせてもらえれば独創的でおもしろいブログが書けるはずなんです。私のブログとイケダハヤトさんのブログの違いもきっと「どういう環境で書いているかの違い」であって、決して実力の違いでは………まあ、この話はまた今度。

「芸術村」と「ブロガー天国」

わたしがおもしろいなぁと思ったのは本阿弥光悦が「芸術村」を作ったこととイケダハヤトさんが考えている「ブロガー天国」ってなんか似てる!ってこともあります。

本阿弥光悦はさまざまな芸術家を集めた集落で指導にあたり、光悦村を経営していたと言います。

また光悦村への移住よりも時間はさかのぼりますが、光悦はなかなか世に出る機会に恵まれなかった俵屋宗達と出会い、宗達がその実力を発揮できる機会を与えたそうです。

イケダハヤトさんも「ブログ書生」を集めたり「ブロガー天国」や「うつ病村」「ニート村」を作りたいと考えておられます。「イケダハヤトのブログ塾」なんかも後進の指導にあたった光悦に通じるところがあります。もしかしたら光悦に導かれた宗達のようにイケダハヤトさんによって世に出てくる人もいるかも知れませんよね。

この記事のまとめ

都会にいる方がいろいろな「ネタ」に出会い、刺激を受けることもあります。ですが、ゼロあるいはゼロに近い状態からなにかを作り出す「創作活動」はよけいなものが無い自然の中に身を置く方が質の高いものを作り上げることができるのかも知れません。

本阿弥光悦は俵屋宗達とともに「琳派」の創始者と言われています。イケダハヤトさんが将来「ブロガー天国」を築かれたら後世「イケハヤ派」みたいに呼ばれるような時が来るかも知れませんね。

もしも「ブロガー天国」ができたら、…ちょっとぐらいは滞在させてもらいに行きたいものです。

光悦寺

住所
〒603-8466 京都市北区鷹峯光悦町29
アクセス
京都市バス「源光庵前」下車 徒歩約3分
駐車場
あり(12台)
拝観時間
8:00〜17:00
拝観料
300円